注意事項
当サイトの内容は、どこまでも自殺の予防を目指したものです。すでに自殺の危険が切迫している人は、適切な援助を受けてください(たとえば、自殺予防総合対策センター、日本いのちの電話連盟など)。
また、うつ病、統合失調症などの精神科疾患を告知されている人は、精神科または心療内科で治療を受けてください。
内容
第1章 日本人の自殺予防について
2)美徳と弱点は裏表
3)「自殺大国」日本の現状
4)いい加減に生きよう
5)自殺予防のための、「いい加減な生き方」7カ条
①失業や離婚を、自分が精神的に自立するチャンスと考える。
②他人に対して、適度には無関心になる。
③他人から認められるための努力は、できるだけしない。自分のためだと納得したら、人から認められなくても努力する。
④「王様にも乞食にもなれる」くらいの柔軟さを身につける。
⑤孤独な時は自分を見つめよう(酒で孤独を紛らわさない)。
⑥人を愛しすぎない、人からも愛され過ぎない。
⑦分裂思考(複眼思考)をする。
第2章以下は、今のところ作成していません。将来は、「親のアルコール問題が子供に及ぼす影響」というようなテーマを考えています(変更もあります)。
第1章 日本人の自殺予防について
1)東日本大震災で明らかになった日本人の美徳
被災地の日本人が、大規模な暴動を起こしたり、支援物資を略奪したりすることはありませんでした。困難な状況にあっても、人間同士の秩序が維持されていました。このことは、全世界に対して誇るべき日本人の美徳です。
2)美徳と弱点は裏表
日本人同士の、人間的な絆は強いようです。しかし、その絆の強さが、生きていく上での足かせになることもあります。絆が強いということは、人間同士の束縛が強いということでもあります。その分、自由がありません。また、人との絆を失った時には精神的にもろい人が多いようにも見受けられます。集団では強く個人では弱い、それが日本人の現状ではないでしょうか?
3)「自殺大国」日本の現状
1998年以後、日本国の自殺者は毎年3万人を超えています。特に、職を失った中高年男性の自殺が目立っています(内閣府自殺対策白書、厚生労働省自殺死亡統計)。 確かに、失職して自殺する人の気持はわかります。しかし、冷静に考えてください、職業とは、生きて行くための手段です。「手段」という言葉を、「道具」という言葉に置き換えることもできます。仕事は、生きていくための道具でしかありません。仕事が生きる目的ではないはずです。道具を失ったら、別の道具を探せばよいのです。道具(である仕事)を失ったからといって自殺するのは、本末転倒です。
そのうえ、今の日本でどんなに追いつめられても、戦場や飢餓地帯よりは気楽なはずです。実のところ、戦場や飢餓地帯で自殺する人はほとんどいません。それとは正反対で、今の日本で大きな災害に遭っても、待っていれば必ず援助の手が差し伸べられます。それなのに、どうしてこれだけの日本人が、毎年自殺を遂げるのでしょうか?
4)いい加減に生きよう
多くの日本人は、人間同士の絆を失った時に精神的にもろいからです。しかし、これから日本人同士が今までのような強い絆を維持していくことはできません(その理由については、順を追って述べていきます)。今から必要なのは、孤独な社会に生きる知恵です。決して、人との絆ではありません。
自殺を防ぐためには、「いい加減に生きる」ことを身につける必要があります。特に、他人に対して「いい加減に生きられる」ことが肝要です。他人に対して適度には無関心であった方が、今の社会に適応するために有利だと私は思います。少なくとも、自殺をしないためには有益です。
以下では、自殺防止に有益な「いい加減さ」ついて、私の考えを述べさせていただきます。
5)自殺予防のための、「いい加減な生き方」7カ条
①失業や離婚を、自分が精神的に自立するチャンスと考える。
②他人に対して、適度には無関心になる。
③他人から認められるための努力は、できるだけしない。自分のためだと納得したら、人から認められなくても努力する。
④「王様にも乞食にもなれる」くらいの柔軟さを身につける。
⑤孤独な時は自分を見つめよう(酒で孤独を紛らわさない)。
⑥人を愛し過ぎない、人からも愛され過ぎない。
⑦分裂思考(複眼思考)をする。
まず、①失業や離婚を、自分が精神的に自立するチャンスと考えてください。離婚や失業が、恥ずかしいことではありません。今の日本の会社が、終身雇用ではありません。定年までの雇用が、保障されてはいません。定年まで同じ会社に勤める可能性は低いと思ってください。定年になる前に会社から解雇を言い渡される場合もあるでしょうし、自分から進んで退職する場合もあるでしょう。あるいは、勤めていた会社が倒産することだってあるかもしれません。いずれの場合にしろ、一時的には「失業」という事態を経験することになります。誰にだって、その可能性はあります。失業した時は、なりふり構わず生きてください。今までは、朝から晩まで会社のために働いていたのかもしれません。これからは、朝から晩まで、自分が生きることだけを考えて行動すればいいのです。他人からどう思われようと、関係ありません。皮肉なことに、失業してはじめて、自分のために生きる時間が得られたのではないでしょうか?
次に、精神的に自立しているとはどういうことかということです。私の考えでは、②他人に対して適度には無関心でいられること、③自分のためだと納得したら人から認められなくても努力すること、この2点が精神的自立の条件だと思います。他人から認められるための努力なら、子供でもできます。しかし、自分のために努力できなかったら、大人とは言えません。他人が認めることは、他人にとって大事なことです。自分にとって大事なことではありません。実際には、他人に認められることが必要な場合があるかもしれません。その場合でも、他人に認められることは生きていくうえでの手段であって、目的ではありません。そのように、気持を割り切っておきましょう。時には、人に逆らって努力することだって必要です。
今の日本は、「格差社会」だと言われます。すべての分野で、「勝ち組」と「負け組」が両極端に分かれていると言われます。そんな格差社会を生き抜くためには、何が必要なのでしょうか?何が何でも「勝ち組」に入ることなのでしょうか?それは、不可能です。もっと簡単な方法があります。それは、②他人に対して適度には無関心になることです。自分が他人に比べて「勝ち組」なのか、それとも「負け組」なのか?そんな事は、一切気にする必要がありません。自分は自分、そして他人(ひと)は他人(ひと)です。
今の日本が格差社会であることは、ある一面の事実なのでしょう。けれども、「勝ち組」は永久に勝ち組みで、「負け組」は永久に負け組、というわけではありません。同じ人間でも、浮沈と波乱が激しいのが現状です。極論を言えば、④「王様にも乞食にもなれる」くらいの柔軟さが要るのです。誰にでも、浮沈と波乱はあります。誰だって、ある時は「王様」(のような境遇)で、ある時は「乞食」(のような境遇)です。しかも、「王様」になるか「乞食」になるのかが、努力だけで決まることではありません。かなりの部分は、運・不運の結果です。それだけ、世の中の変化が激しいということです。ある意味で、チャンスは平等に近いのかもしれません。もし「王様」になったら、全力で王様の人生を生きるのです。「乞食」になったら、全力で乞食の人生を生きるのです。別に、「王様」が幸福で、「乞食」が不幸なわけではありません。幸・不幸は、自分の感じ方の問題です。他人がどう思うかの問題ではありません。自分の人生を全力で生きていれば、他人の目を気にしている暇はないはずです。他人の目を気にする人は、自分の人生を生きていないのです。自分の人生を生きる代わりに、他人の人生を生きているのです。繰り返しになりますが、②他人に対して、適度には無関心な方がよいのです。
⑤孤独な時は、自分を見つめましょう。現代の日本は、とても孤独な社会です。戦前の日本の農村地帯や、高度経済成長時代の日本社会と比べてみると、よく解ります
戦前の日本の農村地帯では、一生同じ村で生きる人がたくさんいました。それどころか、子供や孫の代になっても同じ農地を耕して生きる場合がほとんどでした。そのうえ、田植えや稲刈りで人々が結束できなかったら、村全体が餓死する危険がありました(このような農業形態を、集約農業といいます)。村人同士が共通の利害関係をもっていました。みんなが共通の利害関係をもっているのだから、否応(いやおう)にも同じ村の中では人間のつながりが深くなります。その反面、自由がありません。
一方、日本の高度成長時代に、会社は終身雇用が建前でした。終身雇用だと、定年まで同じ会社員とつきあうことになります。そのうえ、当時の日本人には戦災からの復興という共通の目標がありました。戦前の農村地帯と違って一生のお付き合いとまではいきませんが、共通の目的をもって定年までつき合うのですから、職場の人間関係は家庭的でした。ところが、会社の人間関係が家庭的であるということが、いいことばかりではありません。知られたくないことも知られてしまう、関わってほしくないことにも口出しされる、そんな不自由な一面もありました。
翻(ひるがえ)って、今の日本社会の人間関係はどうなのでしょうか?まず、会社が終身雇用ではありません。転勤や転職だって、ひっきりなしに起こります。かりに定年まで同じ会社に勤めても、周囲の人は次々に入れ替わるでしょう。そのうえ、同じ会社に勤めていても、みんなが同じ目標や共通する利害関係をもってはいません。これからの時代に会社と職場がなくなるとは思いませんが、あったところでそこで人が強く結びつくことはないでしょう。そして、会社が終身雇用ではないのですから、会社の中で③人から認められるための努力はできるだけしない方がいいのです。それより、よその会社に行っても通用する資格と技能をもつことの方が重要です。また、サラリーマンの方は副業をもっておいた方がよいと、私は思います。
夫婦だって、「終身雇用」ではありません。多くの人が、そのことに気がついていないようです。誰にだって、離婚の可能性はあります。今の日本の家族制度は、一生同じ町や村で暮らすのが当たり前だった時代にできた制度です。ところが、現代では、離婚や単身赴任が特に珍しいことではありません。社会の変化が激しいからです。これからの時代に家族と家庭がなくなることはないでしょうが、家族や家庭があったからといってそこで人が強く結びつくことにはならないと、私は感じています。
このように見ていくと、今の日本は大変孤独な社会であることが解ります。しかし、孤独には効用もあります。孤独になった分だけ、自由です。孤独になった分だけ、他人に束縛されずに生きていく余地があります。孤独の効用は、それだけではありません。適度な孤独は、人間の魂の成長に必要です。⑤孤独な時は、自分を見つめましょう。孤独な時は、自分が何をすべきなのかを考えましょう。孤独な時は、自分が何をしたいのか、どうすればそれができるのかを考えましょう。⑤酒やギャンブルで孤独を紛らわすことだけは、絶対にやめましょう。
⑥人を愛し過ぎない、人からも愛され過ぎない。意外に思われるかもしれませんが、このことが孤独な社会に生きるためのもっとも大切な知恵だと私は思います。ここでいう「愛」とは、男女の関係だけではありません。親子の愛や、師弟の愛でも、度を越してしまえば「溺愛」となります。時には、「盲愛」に陥ることもあります。⑥愛しすぎない方が、いいのです。会社を愛しすぎていてリストラに遭ったら、死にたくなるのも無理ありません。家族を愛しすぎていたのに離婚となったら、やはり精神的なダメージを受けるでしょう。しかし、あなたは会社を愛していたかもしれませんが、会社があなたを愛していたわけではありません。家族を愛すれば愛するほど、家族から疎まれることだってあります。人を愛しすぎるから、相手の気持ちが解らなくなるのです。
人を愛し過ぎたら、「盲愛」になります。相手にとっても、それは迷惑です。逆に、自分自身が誰かの「盲愛」の対象にされてしまったら大変です。人から愛され過ぎたら、自分が束縛されます。⑥他人からは、愛され過ぎない方がいいのです。
別に、まったく誰も愛さないことを勧めているのではありません。まったく誰からも愛されないのがいいとは言いません。「適度に」、「ほどほどに」、愛して愛されるのがいいのです。人を愛することだけでなく、物を愛することにも注意が必要です。酒を愛し過ぎたらアルコール依存症になってしまいます。過剰な愛=依存症、です。このことは、人を愛する場合にも、物を愛する場合にも当てはまります。そして、アルコール依存症にならないためには、酒を愛し過ぎないことと、酒からも愛され過ぎないように注意することとが肝要です。
⑦分裂思考(または複眼思考)をすることが、今の時代には有益です。分裂思考とは、相矛盾する考えを同時にもっておいて、適当に使い分けることです。たとえば、「会社は大切だ」という考え方と、「会社は道具だ」という考え方を同時にもっておくのです。そして、時と場合に応じて、適当に使い分けます。どちらの考えが正しいかは、その時の状況によって違います
学校についても、同じように考えることができます。「学校は大切だ」という考え方と、「学校は道具だ」という考え方を同時にもっておいて、適当に使い分ければいいのです。「社会」、「世間」、「他人」についても、同じように考えます。
今の世の中では、価値観が多様化し、しかも変化が激しいので、一つの考え方が絶対に正しいとは言えません。「白か黒か」、「○か×か」ですべてを割り切ることはできません。二つの考え方を同時にもっておくと、一方の考えに片寄らなくて済みます。分裂思考を言い換えれば、複眼思考とも言えるかもしれません。
友達(恋人)は居るのもいい、居ないのもいい」、「結婚はするのもいい、しないのもいい」、このような考え方も⑦分裂思考(複眼思考)の一例です。 他人からは矛盾しているように思われても構いません。他人に対して「いい加減に生きる」ことが、私のおすすめなのですから。
孤独な社会を楽しく生きるためには、それなりの知恵が要ります。その知恵さえ身につけてしまえば、孤独は楽しいものです。日本人がもっと孤独を楽しめるようになれば、日本で自殺をする人は大幅に減ることでしょう。 2017年4月26日